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Back ground story

ロゴがすべての基盤になる。1964年東京オリンピックの革命

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olympiques
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エンブレムとピクトグラムという2016年の現在も使われる仕組みを多々産み、革命を起こした1964年 東京オリンピックについて調べました。
エンブレムは今も話題に上がりますし、ピクトグラムはみなさんの日々に触れるものです。ぜひ読んでいただければと思います。

01.世界で初めての、大会エンブレム

オリンピック「エンブレム」の始まりは1964年の東京オリンピックでした。それまでは5つの輪が重なるあのマークだけ使用されていたのです。

デザイナーの提案で大会独自のエンブレムが生まれた

エンブレムを提案したのは亀倉雄策さん。デザイン顧問を頼まれた亀倉さんでしたが、正直乗り気でなく、代わりに二つ提案しました。
「顧問はデザイン評論家の勝見勝を推薦する」
「大会独自のエンブレム(ロゴ)を作るのはどうか」
勝見勝さんが顧問となり、エンブレム(ロゴ)はコンペの末に亀倉さんの作ったものに決まりました。

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画像引用元:TOKYOオリンピック物語

顧問はデザイン評論家がいい。それもたった一人にするべきだ 多数決でデザインの良し悪しを決めるのは馬鹿げたことだ、特に有識者とか、市民代表の意見はいらない。あくまで専門家が選ぶことだ
TOKYOオリンピック物語 亀倉雄策の言葉(原文そのまま)

02.ロゴは全てを統括するモノゴトの基盤になり得る

エンブレム(ロゴ)とそれを刷ったポスターができあがると、今度は勝見さんを中心に若手デザイナーが全てのツールを作る実作業に関わりました。

ロゴから広がったデザインポリシー

・シンボルマークを一貫して使うこと
・5輪の色(青、黄、黒、緑、赤)を重点的に使用すること
・和文は石井特太ゴシックを使用すること
・もしくは見出しゴ31などに平体をかけたものを使用すること
ロゴの入った一枚のポスターから始まったオリンピックの準備はデザインシステム、映像、ポスター、入場券、パンフレット、腕章、メダル、ありとあらゆるものに広がりました。

この事例から、ロゴは使われる場所を想定して設計しないといけないという事実が読み取れます。
また、この後、日本で初めてのデザインマニュアル「デザインガイドシート」も作られました。関連性を無視したとんでもないものを作られては困るので、誰がどこで使っても問題が起きないように作られたそうです。

03.世界共通言語図ピクトグラムの誕生

世界で初めてピクトグラムを標準化させたのもまた、1964年東京オリンピックです。

誰にでもわかる図の言葉

制作チーフは当時の若手ナンバーワンと評価された田中一光さんで、田中さんを中心に12名のチームで作り上げました。※
世界中、誰にでもすぐわかる図版を作るのは相当難しく、その上、一般層は当時見たこともなかった「シャワー」などを説明のみで作ることもあったそうです…。

※wikipediaでは「30名ほど」と書いてありましたが、それはオリンピックに関わった主要なデザイナー30名を指しているのではないかと思います。
デザインガイドシート(大会のデザインルールブック)の資料には30名ほどのデザイナーの名前が書いてあり、ピクトグラム担当者は10名の名前が記載されています。
12名という数字の引用元は「書籍:TOKYOオリンピック物語」です。

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画像引用元:TOKYOオリンピック物語

普及させるために、著作権を申請しなかった。

勝見さんはピクトグラムを普及させるために、これだけの機能を発明したにもかかわらず権利で対価を得ようとはしませんでした。

完成させたデザイナーの前でお礼を言い、その上でこの素晴らしい仕事を社会に還元するために、と「著作権放棄※」の資料にサインをくれと頼んだのです。

その甲斐あって、トイレや非常口のピクトは世界共通と言えるものになりました。

※日本の法律では著作物を創作した時点で著作権が発生します。契約書などを交わさない限り、著作権は放棄も譲渡もされません。

サイドストーリー「ピクトグラムの最終形態」

ピクトグラムはその後のオリンピックにも引き継がれます。1968年メキシコオリンピックを経て、1972年ミュンヘンオリンピックで最終形と名高い形に変わります。

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画像引用元:図説 サインとシンボル

04.まとめ

大会ごとのエンブレムを発明した亀倉さん、ピクトグラムという「世界共通の形の言語」を生み出し、世界に広めた勝見さん。1964年 東京オリンピックはまさに革命の連続でした。いま当然のように使われている物の始まりがこの大きな大会で作り出されていたという事実に驚かされました。この素晴らしい発明を届けたいな、と思いました。

国の大会だからこそ無理をするデザイナーも居ます。実際この仕事で亀倉さんはシンボルマークも撮影指示や制作監督も行い、ポスターも作って5万円しかもらえてません。勝見さんはタダに等しかったそうです。このような国の大会だからこそ、無理をして特別低価格で頑張るデザイナーもいます。公募が正規価格とは言い切れない事実も知っていただきたく、締めで記載します。

さて、この文を読むために購入した書籍、東京オリンピック物語にはここでは語りきれないほどのお話がぎゅっと詰まっています。ご興味ございましたら、本で続きを楽しんでいただくのも良いかと思います。

・ブランディング(ブランドの特性を言葉や図にして対内外に向けて存在価値を高めていく活動)
・ユニバーサルデザイン(文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、能力の如何を問わずに利用できる設計)
・ロゴマーク(図案化・装飾化された文字・文字列)
・イノベーション(モノ・仕組みなどに対し全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こす)

1964年 東京オリンピックのプロフィール
主要人物
勝見勝
亀倉雄策
作られた日
1964年 12月
分類すると
世界的大会
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